2025年9月14日(日)晴れ
その1では、「FZ750 生誕40周年ミーティング」に参加するため、静岡県磐田市のヤマハ発動機 コミュニケーションプラザにFZ750で向かう途中、東名高速道路 焼津IC付近でエンジンが停止。
その後、YSP袋井さんまでレッカー車で向かい、バッテリーの交換作業を行ったところまで記載しました。
今回はYSP袋井を出てからの続きです。
その1はこちらからどうぞ。
ヤマハ コミュニケーションプラザ
YSP袋井さんで購入した新しいバッテリーに交換後、私のFZ750は再び力強く息を吹き返しました。
そしてついに、「ヤマハ発動機 コミュニケーションプラザ」に到着しました。
時計を見ると、12時20分。何とか集合写真の撮影時間には間に合ったようです。
FZ750を静かに停め、深呼吸してから受付を済ませました。
長い道のりと数々のトラブルを乗り越え、ようやくこの場所にたどり着いたかと思うと、感謝と喜びがこみ上げてきました。
FZ750(0U45)のエンジン始動デモ
0U45とは、1986年のAMAスーパーバイク選手権 デイトナ200マイルでエディ・ローソンが勝利したYAMAHA FZ750です。
ヤマハ発動機が所有する FZ750(0U45)は実際に走行した車両とは異なる展示車で、これまでは走ることどころかエンジンがかからない車両でしたが、走行できるまでにレストアしたそうです。
FZ750(0U45)のエンジン始動デモは12時00分〜12時20分に予定されていましたが、若干進行が遅れていたため、間に合ったみたいです。
エンジン始動デモに間に合うとは思ってませんでしたので、本当に泣きそうです。

エンジンを始動するその瞬間はFZ750(0U45)の周りには、驚くほど多くの方々が集まっていました。まさに黒山の人だかりです。
皆さんの熱い視線と期待に包まれながら、FZ750は力強く目覚めてくれました。
そのエンジン音が響いた瞬間、周囲からは歓声や拍手が沸き起こり、私自身も胸が熱くなりました。
このバイクが持つ歴史や魅力、そして多くの人に愛されていることを、改めて実感したひとときでした。

既に大勢の方々がFZ750(0U45)を取り囲んでおりますので、後ろから撮影さえて頂きました。
周りの方に伺った話では、今回のレストアではオリジナルのマグネシウム合金製のキャブレターから一般的なキャブレターに換装されたそうです。
キャブレターが交換されてもレーサーらしい鋭いレスポンスですが、鉄製の集合管特有の柔らかな音質が1980年台のバイクっぽくていいですね。しみじみ感動しました。
以下は10秒ほどの動画です。音声が流れますので、ご注意下さい。
FZ750生誕40周年ミーティング 集合写真
次のイベントは、FZ750生誕40周年ミーティングを主催したFZOC(FZ750OCofJAPAN)の集合写真撮影です。
プロカメラマン・金子信敏さんの見事な仕切りで、FZ750(0U45)を中心に、参加者全員で記念撮影を行いました。
FZ750(0U45)の前に広がっているのは、1990年代にワイズギアから販売されていたFZ750(0U45)のタペストリー。当時を知る方には、とても懐かしいアイテムですね。
ちなみに、1997年の第4回ヤマハクラブミーティングでの集合写真は、わずか17人でした。まさか、これほど多くの方々に集まっていただける日が来るとは、当時は夢にも思いませんでした。

この集合写真は、金子信敏さんがご自身のFacebookに投稿されたものを、許可をいただいた上で本サイトに転載しています。(※ぼかし加工は私が行いました)
また、今回のミーティングの様子は、2025年12月または2026年3月に発売予定の『Gworksバイク』にも掲載される予定です。ぜひそちらも手に取ってご覧いただきたいと思います。
FZ750生誕40周年ミーティング参加者のFZ750
ミーティングに参加された皆様のFZ750は、コミュニケーションプラザの館外にある地球儀の周辺に整列して駐輪しております。
この奥は写真に写らないほど並んでおります。 私もこれまで何回かFZOC(FZ750OCofJAPAN)のイベントには参加していますが、ここまでの台数が集結したのは初めてだと思います。
後日、FZOC広報のNさんのお話では、参加者133名、FZ750は94台だったそうです。

FZ750(0U45)フリー撮影タイム
FZ750 生誕40周年ミーティングで予定されていたイベントは一通り終了しましたので、遠方からいらっしゃった皆様は帰路に着かれるかたもいらっしゃいました。
ここからは、FZ750(0U45)のフリー撮影タイムとなりました。

FZ750(0U45)は後ろ姿も素敵です。太すぎない18インチリア周りはやはり良いですね。

どの角度から見ても、FZ750(0U45)は美しいですね。

FZ750(0U45)と私のFZ750のツーショット
ヤマハ発動機の方に「自分のバイクをFZ750(0U45)の横に並べて撮影してもよいでしょうか?」と、ダメ元でお願いしてみたところ、なんと快く撮影許可をいただくことができました。
慌てて自分のFZ750を並べ、夢中で撮影したのがこちらの写真です。

まさに“家宝”あるいは“冥土の土産”レベルの写真が撮れました。
自走して来れて本当に良かったです。
レッカー屋さん、YSP袋井さん、関係者の皆様、本当にありがとうございました!

FZR750(OW74)
FZ750生誕40周年ミーティングに合わせて、コミュニケーションプラザ1階では、普段は展示されていないFZR750(OW74)が特別展示されていました。せっかくの機会なので、ぜひ見に行ってみましょう。
館内に入ると、「コミュニケーションプラザへようこそ FZ750オーナーズクラブ」との歓迎メッセージが掲示されており、思わず嬉しくなりました。こうして歓迎されていると感じられるのは、本当にありがたいですね。

FZ750をベースに開発された耐久レース仕様のTT-F1ファクトリーマシンです。
1985年の鈴鹿8時間耐久レースではケニー・ロバーツ/平忠彦のペアが終盤マシントラブルによってリタイヤしたものの、圧倒的なパフォーマンスを見せました。

このFZ750のライトを模したといわれるOW74のアッパーカウルは独特なデザインです。

この後は、今回のイベントの最大の功労者であるFZOC広報のNさんご夫妻とお話ししたり、FZOCの旧友や新しいメンバーの方々とも交流したりと、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
このような素晴らしいイベントを企画・開催してくださった関係者の皆様には、心より感謝申し上げます。
時刻はそろそろ14時。帰宅方向が同じKさん、Mさんと途中で昼食をとり、一緒に帰ることになりました。
まさか帰路でトラブルが発生するとは、この時点ではまったく想像していませんでした。
その3につづく